カジちゃんの妄想劇場

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学校は「やる気」と「責任」を教える場所になる

内閣府が実施した低年齢層の子供のインターネット利用環境実態調査 - 内閣府によると

インターネット利用率は、2歳児では28.2%、4歳児で39.7%。7・8歳児でほぼ半数となり、9歳児で65.8%となっている。

この調子だと、未来の小学校では「はーい、ここ覚えておきましょうね」「は?スマホで調べたらよくない?」って時代が来る気がする。というかもう来ているのかもしれない。そんな時に、教師は、学校は何を教えるべきなのか。

 

目次

 

「木造の教室と黒板木造の教室と黒板」のフリー写真素材を拡大

 

「できること」は機械が。「やりたいこと」は人間が。

ネット環境含め、これだけテクノロジーが発達したことによって、生活は大変便利になった。ヒトの出来ることがどんどん増え、やりたいことの実現も容易になった。

 

例えば、筆者は過去に、世界を旅したいと思って実際にブラブラ放浪していたことがある。この時、そこそこバイトをして資金を集め、LCCを活用して費用を抑えたりしながら、思う存分旅を満喫していた。

これが一昔前だとどうだろう。たかだが100年前ちょっと前では、海外に行けた岩倉使節団は選ばれしエリート集団だった。イチ日本人がちょっと仕事を頑張ってお金を貯めたくらいで、海外を周ることなど不可能だったろう。資金的にもそうだし、また訪問先の情報も無く危険だ。

それが今や、ネットで調べれば行きたい国の情報は出てくるし、航空技術の発達によって数万円で海外に行けるようになった。21世紀は、海外を旅するのは決して難しいことではなくなった。

 

ディープラーニングやIoT等の技術発展によって、これからの時代もますます「できること」は増えるはずだ。そんな世界では、やりたいことを実現するために努力をすることではなく、そもそも「やる気」をどれだけ持てるかにかかっている。

学校現場で学ぶべきことの一つ目は「やる気」である。

 

大いなる意思には大いなる責任が伴う

某アメコミの蜘蛛ヒーローっぽいことを書いてみた。

そういえばアメスパの2はとんでもなく微妙なところで終わったくせに、また新シリーズが始まるらしい。


映画「スパイダーマン ホームカミング」日本版予告 第3弾 Another Cut Ver.

が、まあこの予告を観る限り、ベンおじさんは既に亡くなった後からスタートするようだ。ベンおじさん何回殺されるんだと思っていたが、さすがに3回目は許された。

 

話が脱線したので、本題に戻る。

機械は「責任を持つ」ことができない。少し前から、自動運転の責任は誰が持つのだという議論も上がってきていた。機械によって未来予測が容易になり「このプロジェクトは99.99%の確率で成功します」とアドバイスをもらえるような時代が来たとしても、万が一の0.01%が起こった時に機械は責任を取れない。そこには必ずヒトが必要になってくる。

 

先程「やる気が大切」と書いたが、そこで「自分がやったことに責任を持つ」ことがもう一つ大切になるはずだ。これはどれだけ機械が発展してもどうにもならない。『誰がデー!ダデニ投票シデモ!オンナジヤオンナジヤオモデェー!ンァッ↑』とか某議員のように言っても、機械は助けてくれないのである(古い)。

学校現場で「やる気」を存分に学ぶと同時に、「責任」も学ぶことが必要だ。子どもたちには存分に大きな意思を持ってほしいが、それには大きな責任も伴うのだ。

 

ちなみに、そんな学校で育った子どもたちには、以下のような職業がオススメです。

kajiki16894.hatenablog.com

 

おしまい。

 

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