「人間教」信者のためのお仕事
ヒトの仕事がほぼ機械が置き換わる未来に、我々に残された働き方は決して多くありません。
そんな中で、(まだしばしの間は)残される労働があります。それが宗教的お仕事です。
この宗教的お仕事とは、言葉の通り宗教法人としての仕事ももちろんですが
本稿ではもう一つの意である、「人間教」信者のためのお仕事について述べます。
目次
「人間教」とは
一言で表すと「ヒトの暖かさ」を信じている宗教になります。
例えば、先日「変なホテル」について話していた時のことです。
※変なホテルとは、ロボットたちが接客してくれる、ハウステンボスにある宿のこと
「いや~ロボットが接客する時代だなんて、最先端で凄いし、面白いねぇ。」
「そうだね。でもまあ珍しいから面白いのであって、広まることはないだろうね。」
「えっ、どういうこと?(ヒトの雇用を奪わないために規制がかけられるとか・・?)」
「いやだって、接客にはやっぱりヒトの暖かさがなくちゃダメじゃん。カプセルホテルとかならともかくさ。」
はぁ、なるほどな。これが人間教か、と思いました。
「ヒトの暖かさ」なる幻想
例えば、ドラえもんを思い浮かべてみてください。
その中で「さようならドラえもん」という話があるのですが、有名な回なので知ってる方も多いのではないでしょうか。
ドラえもんが未来に帰ることになり、渋々ながらも受け入れるのび太。
そして最後の夜、ひょんなことからジャイアンと喧嘩することになるのですが
「ぼくだけの力で、きみに勝たないと……。ドラえもんが安心して……。帰れないんだ!」
と力を振り絞って、ひみつ道具に頼らず、ひとりの力でジャイアンに勝つんですよね。
これぞまさに「ヒトの暖かさ」
グッとくるシーンで、私も思わず目頭が熱くなる、大好きなシーンです。
そして実は、そのやり取りを見ていたドラえもん。
その「のび太の(ヒトの)暖かさ」を見て、ドラえもんは涙を流します。
このシーンこそまさに象徴的で
のび太はもちろん、ロボットであるドラえもんの暖かさを感じることはないでしょうか?
もちろんこれは漫画での出来事ですし、2017年現在の技術ではドラえもんを創ることはできません。
ですが少なくとも、”暖かさ”は”ヒト”にしか出せないと言うのは幻想だと私は思います。
特に根拠もなく「”暖かさ”は”ヒト”にのみ許された特権だ」と主張するのは、これこそ宗教であり、人間教と言われたる所以です。
人間教ビジネスの発展
となれば、この人間教の方がいる限り、その信者達が求めるサービスは、ヒトが提供する必要があります。そのサービスの質がうんぬんというより、提供者が誰であるかの方が大事ですからね。
つまり、いくら機械が発達しようとも、ヒトに残された仕事となります。
例えば、上記のような接客業であったり、医者の仕事なんかも「機械に身を預けられるか!」なんていう信者がいるかもしれません。
他にもいくらでも思いつきますね。
そして衰退
ただこの仕事が成り立つ裏側には、現時点でAIへの信頼がまだ足りないだけ、ということもあると考えられます。かつて自動改札機が導入された時も、まだ懐疑的だった世間からは「ヒトの暖かさがなくなる」と声が上がっていました。
それがその後の自動改札機の普及を見ても分かるように、世間が慣れてくると「むしろヒトの仕事の方が信用ならないよね」と意識が変わるかもしれません。
また、今後「AIネイティブ世代」なんて呼ばれる子どもたちが産まれてきて、彼らがマジョリティになった時代では、いずれこの仕事も廃れていくでしょう。
そんなわけで、その場しのぎの仕事にはなりそうなので、常に未来を見据えて生き方を考えるのが、一番大事そうです。
ちなみに、人間教信者のためのお仕事が廃れても、まだ長らく残ってくれそうな仕事は、以下になります。
おしまい。