カジちゃんの妄想劇場

妄想を垂れ流しています。

ヒトはなぜ、勉強するのか

なぜ勉強しないといけないのでしょうか?

良い高校・大学に入るため?そして、良い会社に入るため?

 

これは全て、満点越え120点の回答でしょう。

ですがあえて1つ提言するなら、「大人になると、勉強しないと楽しめないから」です。

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■子どもは単純なものでも楽しめる

子どもの頃は、なんでも楽しむことができた。でも大人になって、その好奇心はどこかに行ってしまった―――。

多くの人が経験のあることではないでしょうか。実際小さい頃って、例えばヒモ1つ与えられただけでも、それを伸ばしたり、丸めたり、形を作ってみたりしながらいくらでも遊べたりしますよね。大人になってからでは、なかなか難しいことです。

 

これって実は当たり前の話。子どもが好奇心旺盛なのは「世の中分からないことだらけ」だからです。

それこそ、ヒモの端を持って引っ張ってみたらどうなるか、そんなことさえ分かりません。大人になった今でこそ「ピンと張る」と予想できますけど、それすら頭の中にない状態なので、単純な探求でも知的好奇心を満たし、楽しめます。

 

■大人は単純なことには飽きてしまっている

一方大人になると、ヒモで遊ぶなどまず不可能でしょう。その理由はもちろん簡単で、例えば端を持って引っ張るとどうなるかなんて、知っているからです。

上記なような単純な遊びは、小さいころに何回も試行したうえで学習をしています。だから既に、飽きてしまっているんですね。

 

じゃあ、大人はどうやって楽しむことができるのか?と言えば、そこで勉強が必要になるわけです。

単純な遊びは子ども時代に経験してしまい、大人には勉強しないと楽しめない事しか、残っていないからです。

 

文字か読めなければ、優れた文革作品は楽しめませんし

科学的知識がなければ、似非科学に騙されて辛い思いをします。

 

歴史を知っていれば、大河ドラマをより深く楽しめますし

英語が話せれば、より世界中の人と友達になれる可能性が増えます。

 

子どもの頃は、楽器を叩くだけでも楽しかったものが

大人になると、練習(勉強)して上達する楽しさも味わえるようになります。

 

小さい頃は、単純にゲームを楽しんでいたのが

大きくなると、勉強で読解力がついてストーリーの素晴らしさに気付けたり、練習(勉強)を繰り返して縛りプレイを楽しめるようになったりします。

 

上記のヒモの例で言えば、例えばものすごく難しいあやとりなどを勉強すれば、大人でもそれを追及することで楽しめはずです。

 

■勉強の本質

勉強とは、世界を広げることです。

親や、学校や、社会が子どもにしてやれることは、その子の世界を広げることだと考えています。

 

その広がった世界の中で、特に自分が好きなものを見つけ

それに没頭し、夢中になることが出来れば、それは幸せな人生だと思います。

 

もちろん、大人のする勉強にも大いに価値があります。

大人になってからでも、勉強してより世界を広げ、その中から更に没頭できることが見つけられれば、自分の幸せが1つ増えることになります。

さらに言えば「子どもは好奇心旺盛でいいなあ」と言うのは、自らが勉強していないことを露呈しています。勉強している大人なら、子どもの頃のように好奇心旺盛で、日々を楽しめているはずです。

 

ついつい言っちゃう「勉強しなさい!」にも、こういった想いを込めて言えるようになれれば良いですね。

そしてもちろん大人も、模範として、毎日勉強!勉強!

 

おしまい。

 

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文系の筆者が考える、シンギュラリティが来ない理由

 

 

断言します。シンギュラリティは来ません。

 

とまあ、結構見え切っちゃったような書き出しをしてみましたが

教育学部っつー文系なんでね。ひとつの妄言としてお楽しみください。

AIに支配される人達のイラスト

 

■ヒトの進化を考慮していない考え方

まず、シンギュラリティの定義を確認します。

今のなんとなくの世間の認識って「AIとか機械が人間の能力超えてこわい」みたいな感じだと思うんですよ。ターミネータースカイネットとか、そのあたりね。まあ確かにシュワちゃんは人体の限界を超えてる感あるしね。

シュワちゃんの掛け時計<br />Arnold Schwarzenegger Body Builder Wall Clock

もはや肉体が世紀末仕様。

「ラオウ」の画像検索結果

シンギュラリってる拳王様。

  技術的特異点(ぎじゅつてきとくいてん、英語:Technological Singularity)、またはシンギュラリティ(Singularity)とは、人工知能が人間の能力を超えることで起こる出来事[1][2]。

技術的特異点 - Wikipedia

 この定義であれば、シンギュラリティは来ないと考えています。

 

だってこれ、ヒトは進化せず、機械だけが進化する前提ですよね?

(あ、ちなみにここでの「進化」の定義は、生物学的なガッチリしたものより、能力の向上的なゆるい捉え方です)

 

例えば「〇〇に最短ルートで行ってきて」と指令を出された時、そこそこのヒトがこのお題はクリアーできるはずです。そう、iPhone(とGoogleMap)ならね。

これがほんの十数年前だと考えられなかったはずです。つまりここ最近でも、テクノロジーの発展でヒトはどんどん進化してるんですよね。

 

この前も、イーロンマスクが脳とAIを接続しようとしている話が出てきていました。

 要するに、AIがヒトを越えそうでこわいなら、ヒトにAI埋め込んで進化しちゃえば良いんじゃない?って話なわけです。

 

■そもそもシンギュラリティの定義

まあそもそも、シンギュラリティの定義がかなり誤解されているような気がします。

先程もウィキペディアから定義を引用しましたけど、実は続きがあって

人類が人工知能と融合し、現在の人類からして、人類の進化速度が無限大に到達したように見える瞬間に到達すること[3][4]。

技術的特異点 - Wikipedia

 こんな定義もあるんですよね。

 

キャリアの世界においても、「AIに仕事を取られる!」ってシンギュラリティを懸念する声が強まってたりもしますが

自分をテクノロジーで進化させて、機械に負けないように競争する社会が来るかもしれません。

 

30年後くらいには、出世競争に負けそうになった時に、攻殻機動隊もビックリなくらい己を電脳化して「倍返しだ!」つってる銀行員が話題になるかもね。

 

おしまい。

 

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部活動に必要なのは「選択権」だ

最近、甲子園出場を果たした下関国際監督の指導法が厳しすぎると、部活動のことが話題になっていました


www.nikkan-gendai.com

参考記事:「文武両道あり得ない」下関国際・坂原監督が野球論語る|野球|スポーツ|日刊ゲンダイDIGITAL

 

実際は「この学校が教育困難校であり、この厳しいやり方でないと甲子園に行けなかった」とか「記者にかなり印象を捻じ曲げられ、実際はもっと穏やかな人間」との反論もあるようですが

こういった強制的な指導は、世間から反応されやすい話題とは言えるでしょう。

 

これらの”部活動問題”についてですが

私は「選択権をきっちり確保すること」が解決につながると考えています。

 

■生徒の選択権

基本的に部活動は、生徒らが「自発的・自主的に活動するもの」だと考えられています。

ですがその実態は、どことなく帰宅部に冷たい視線が注がれていたり、「加入率の目標100%!」と掲げられていたのは、私の母校だけでしょうか?

 

上記の監督のように「教育困難校では、自主性に任せてると怠けるから駄目だ。強制が必要な時もあるのだ」との意見もあるでしょう。

ですが、本来学校で強制が必要なのは授業であり、部活は「特別活動」に過ぎません。

 

「部活動で『協調性』『夢中になる楽しさ』などを学んだ」などの意見に対しても、それは教室で学ぶべきものです。

授業を通して模試の点数が上がった、なんてのは二流で、クラスの皆とのコミュニケーションや、学ぶことが夢中になれる授業の実現こそが、一流の教員のはずです。

 

もちろん部活動を否定しているわけではありません。ただあくまで「特別活動」です。

その事実がある限り、部活動に参加する・しないの選択権は、しっかりと確保されるべきです。

 

■教員の選択権

前述したように、部活動は「特別活動」です。

つまりそれは、教員にとっても、いわばオマケの仕事であり、本来の教員の仕事は「授業」のはずです。

 

そんな大事な仕事があるので、その授業準備に力を入れようとするのは当然のはず。もちろん、特別活動の部活より力を入れるのも当たり前の話ですよね。

少なくとも「部活を教えたくて教師になったんだ」と言うのはお門違いですし、それならスイミングスクールやヤマハ音楽教室の講師になった方が、幸せな仕事人生を歩めると思います(いや公務員は安定してるから・・なんて言う人は、子どもの為にそれこそ今すぐ辞めてください)。

 

顧問もやるか・授業に専念するかの選択権も、しっかりと確保されるべきです。

 

■部活動は本来”異常”だ

「そんなに規制されたら、部活動に打ち込んでいた子どもらが可哀想だ」との意見に対しては、そもそもの前提をひっくり返す必要があります。

その考え方こそが異常であり、あくまで「特別活動」との考えを徹底させるべきです。

 

部活動のようなサービスが無償なのがおかしいのであって、それなら予算を出して外部講師を派遣したり、習い事をすればよいでしょう。

少なくとも、その負担をこれ以上学校に押し付けるべきではありません。繰り返しになりますが、あくまで「クラス」での学びが第一に考えられるべきです。

 

最後に、帰宅部」に対するネガティブイメージも異常です。むしろ、閉じられた学校から飛び出して外の世界を色々知れるチャンスです。

アルバムで「帰宅部」コーナーだけ作られていないのも不憫です。しっかり載せてあげましょう。

 

おしまい。

 

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会社には「説教所設置」を義務付けるべき

「説教所」とは、喫煙所のようにこじんまりとした部屋のことで、かつ防音対策はしっかりとされているので、声が外に漏れないようになっています。

そして法律で「部下に説教をする時は、この部屋でのみ行わねばならない」と定めましょう。

 

これは普段社内で埋もれる、気弱なイチ社員の叫び声です。

 

■怒る上司、怒られる部下、そして私

「何度言えば分かるんだ!○○は××といつも言ってるだろ!」

 

毎日のように上げられる大声

怒鳴られているのは私―――ではなく、上司お気に入りの部下です。

 

上司はマネジメントに自信があり、実際に「ダメ社員」と烙印を押された人らを、何人も立派なビジネスマンに仕立て上げた実績がありました。

怒鳴られているのも、お世辞にも仕事が出来るとは言えない社員。それでも上司の厳しくも親身な指導によって、少しずつですが結果を出せるようになってきています。

 

本人もそれを分かっていて、時折愚痴ったりしつつも、訴えることはありませんでした。

パワハラかと問われるとグレーな指導でしたが、当人らの中では納得感のある関係性のようで、特に問題なし―――

 

ではありません。怒られてるのは別の人ですが、実は私が怖がっているのです。

 

■自分に関係なく怒っている人が怖い

昔から「怒っている人」が怖くて仕方がありませんでした。

もちろん自分が怒られるのはたまったものではありませんが、他人が怒られているケースでも、私はその怒っている人が怖いのです。

 

小学校などでは、クラスに一人はやんちゃな子がいたりして、よく怒られている光景があったかと思います。

そんな時、意外に本人は怒られ慣れているので、ケロッとしていることとかもあるんですよね。反面、関係ない私の方がビビッて泣きそうになっていたりします。

 

先程の状況も同じです。

怒鳴られているのは私ではなくとも、その怒声を聞くだけで仕事が手に尽きません。

 

■タバコくらい厳しく取り締まってほしい

もちろん「それで仕事の結果が出せなくなった」というのは言い訳でしょう。

それでも、私は何もしていないのに、何故こんなに辛い想いをしなければならないのでしょうか?

 

「お前の感じ方が問題なんだろ」と意見が飛んで来そうですが

私からすると「ビニール袋に包まれたゴキブリを噛んで。噛むのはビニール袋なんだから、直接的には関係ないでしょ?」みたいな感覚です。中々治せなくて、どうもすみませんね。

 

タバコの副流煙が問題になり、タバコを吸う人に厳しい社会になってきているかと思います。

それと同じで、受動喫煙ならぬ受動怒声にも、もっと風当たりを厳しくしてくれないでしょうか。マジで辛いです。

 

是非会社各位には、「喫煙所」だけでなく「説教所」も設置して、受動怒声を避けられるような環境づくりを心掛けて欲しいものです。

今度わたすも進言しよーっと。

 

おしまい。

 

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世界最強のお店の創り方【書評:成功はゴミ箱の中に】

映画「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」が本日、公開されました。

thefounder.jp

 

マクドナルド創業者「レイクロック氏」が、かのハンバーガー帝国をいかにして創り上げたか、というお話ですが

実はこの映画には、原作があります。

 

その本の名前は「成功はゴミ箱の中に」

ファーストリテイリング柳井氏」「ソフトバンク孫氏」と、日本を代表する経営の二大巨神らが、『人生のバイブル』とまで絶賛している本です。

 

■成功するために必要な、たった1つのもの

リブセンス村上氏が25歳で最年少上場したり、ザッカーバーグ氏がフェイスブックを在学中に創ったりと、若手企業家が目立つ中

クロック氏は、なんと創業した時が52歳。そこから一世代(というか、もはや余生!)で奇跡の成長を遂げ、億万長者になっています。

 

そんな成功を、どのように成し遂げたのか?

エピソードはいくつもあるのですが、とくに印象的な以下のような例があります。

 

 

それは、「ライバル社にスパイを送り込むべきだ」と社内で意見があがった時に、クロック氏が放った言葉でした。

「競争相手のすべてを知りたければゴミ箱の中を調べればいい。知りたいものは全部転がっている」

私が深夜二時に競争相手のゴミ箱を漁って、前日に肉を何箱、パンをどれだけ消費したのか調べたことは一度や二度ではない。

私は競争相手とは正々堂々と戦う。強みを鍛え、品質、サービス、清潔さ、そして付加価値に力を入れれば、我々についてくることができずに競争相手は消滅していくだろう。実際、過去に何度も目にしてきたことだ。

 

成功に必要なものは、才能や教育ではないとクロック氏は語ります。

実際、彼は高校を中退しており、少なくともハーバードを出たりしたわけではありません。

 

あのハンバーガー帝国を創り上げたのは、間違いなく「ど根性」です。

マクドナルドの社長を務めたような男が、深夜の二時に犬畜生のようにゴミ箱を漁っていたわけです。

 

いくらビジネス書を読んで、頭だけはデッカチになっても

「果たしてキミは、それを実行はできるのか?」と喝を入れられるような、そんなエピソードでした。

 

ユニクロ創業者が唸った、名言の数々

またクロック氏は、名言が多いことでも有名です。

 

本の巻末に、柳井氏と孫氏の対談も載っているのですが、そこで柳井氏からこんな話がありました。

「Be daring(勇気を持って)Be first(誰よりも先に)Be different(人と違ったことをする)」。

これこそ商売の真髄だと思って、手帳に書き写したのを覚えています。

 

こんな言葉が沢山出てくるので、朝礼で部下に送る言葉に悩む、上司のアナタ

ネタ帳としてもこの本、オススメですよ(笑)

 

 ■おわりに

上述したエピソードは、本の中の、ほんの一部に過ぎません。

 

ハンバーガー1つとっても

・肉はなぜ厚さなのか?焼き加減なのか?

・パンはなぜあの形なのか?素材なのか?

・くるんでいる紙は、どのように選出されたのか?

とエピソードの塊です。そしてそのエピソードは、常にクロック氏の人生とともにありました。

 

そんな52歳からの大逆転人生。

是非マクドナルドのハンバーガー片手に、その歴史の詰まった味を噛みしめながら、ご一読をお勧めいたします。

成功はゴミ箱の中に レイ・クロック自伝―世界一、億万長者を生んだ男 マクドナルド創業者 (PRESIDENT BOOKS)

成功はゴミ箱の中に レイ・クロック自伝―世界一、億万長者を生んだ男 マクドナルド創業者 (PRESIDENT BOOKS)

 

 

おしまい。

 

じぃじばぁば大活躍時代の到来

 筆者は来年から社会人。学生として学ぶ立場から、いよいよ社会に出ることになります。

もちろん、厳しい目にもあうかもしれません。ですが、おおむね周囲の人間は「これからは若い君たちの時代だな、しっかり頑張れよ!」と激励を送ってくれたりしています。

 

だがちょっと待ってほしいのです。

 

「これからは若い君たちの時代だ」と申す全てのオトナたちに告ぐ。

「まだまだあなたたちの時代だ」

高齢化社会のイラスト

 

■どこもかしこもじぃじばぁば!

高齢化が(一般的に)問題となっていますよね。

内閣府によると、2060年には2.5人に1人が65歳以上の社会が来るそうです。

  • 平成72(2060)年には高齢化率は39.9%に達し、2.5人に1人が65歳以上。
  • 平成72(2060)年には75歳以上人口が総人口の26.9%となり4人に1人が75歳以上。

第1節 高齢化の状況|平成28年版高齢社会白書(概要版) - 内閣府

 

こりゃあえらいこっちゃな状況ですよ。同データで、現役世代1.3人で1人の高齢者を支える社会が到来するとも言われています。

この状況で「若い君たち」が中心となる社会って、わりと無理があるんじゃないでしょうか。ちょっと、何押し付ける気満々マンなんですか。

 

■立て!立つんだじぃじばぁば!

年金支給を75歳まで繰り下げできるようにする発言が話題になっていました。

headlines.yahoo.co.jp

記事内にもあるように、働ける元気な高齢者を支援する狙いでの発言のようです。

 

この「働ける元気な高齢者」にも色々なイメージがあると思いますが

例えば、80歳を超えるご婦人が、プログラミングをしてアプリを創られたような事例があります。

www.buzzfeed.com

うちのばぁばは「扇風機の使い方が分からん」と言っていましたが、世の中にはこんなおばあちゃんもいるわけです。本気出したおばあちゃんしゅごい。

 

■スーパーじぃじばぁばが活躍する時代

アシストスーツの技術が進化してきています。(例:パワーアシストスーツ、作業現場の“救世主”に:日経ビジネスオンライン

これで体力面の問題もカバーされつつあり、培ってきた経験や知識もある。じぃじばぁばも活躍する時代が来ると思うんですよね。

 

「子は日本の宝」とか言われたりしますが、これからは「爺婆も日本の宝」の時代が来ます。「年金等で支えられる側」から「自立してどんどん日本を引っ張る存在」に変わっていく未来になります。イノベーションも、若いスタートアップとかじゃなくて、年老いたジジババベンチャーが起こすようになったりして。

 

僕ら若者も年金支払いから解放され、じぃじばぁばと協力して日本を創り上げる時代。

長生きしてね!じぃじばぁば。

 

おしまい。

「成長」を餌に過労に追い込むのは、やめにしないか

“成長”か

これほどベンチャーに愛される言葉もないな
素晴らしい言葉だ

…しかしな
自分の力を行使するでもなく、他力本願で従業員の過労を願う
お前が言う“成長”も随分と生臭いぞ
血だまりの臭いが鼻につく、そう思わないか?

「バラライカ 日本」の画像検索結果

 

■最終面接で、役員から言われたこと

筆者の就活中、「圧倒的成長」を謳っていた企業の最終面接で、役員の方とこんなやりとりがありました。

 

「カジちゃんの中で『成長』のために必要な要素って、なんだと思う?」

 

「えっと・・(少し考えてから)①好きで頑張れることを見つけること」

 

「あーうん」

 

「②その領域で目指したい目標を定めること」

 

「はいはい」

 

「③その目標に向かって正しい努力をすること、だと思います」

 

「・・・・・・」

「・・・はぁ(ため息)」

 

(カジちゃん、背筋が伸びる)

 

「あのさあ、全ッ然分かってないよね。そんなんで成長できると思ってるの?」

 

(カジちゃん、ここでおしっこ漏れかける)

 

「成長に必要なのってさ、何よりもなわけ。僕はそういう答えを求めてたのにさ、なによ『好きなことを見つける』って。選り好みしようとしているわけ?完全に社会舐めてるよね。」

 

(ジョバー)

 

■「量」は目的でなく、結果だと思う

まず上記は面接でのことだったので、そういう意味では、私の対応は間違っていたと言えます。

面接官も明確に「そういう答え(量)を求めていたのにさ」と言っているので、それを読み取り、回答・提供できなかった筆者の実力不足です。

 

ですが一旦、それは置いておいて。

 

個人的な意見としては、最初から「量」をこなすことを”目的”として行動するのは、効率が悪いんでねえかなあと思うわけです。

面接官にボロカスに言われましたが、それでも「好きなこと」を先に見つけるべきです。そしてその”結果”として、気付いたら「量」こなしちゃっているような状態が好ましいでしょう。

 

例えば筆者は、日中は営業マンをしたりブロガーとして活動していますが、これは世を忍ぶ仮の姿で、本業はミュージシャンだったりします。

有難いことに、私の技術を認めてくださる方がいて、出演依頼をいくつも頂戴しています。

 

もちろんその技術を身に付ける為に、多大な時間を投資してきましたが、当初から「圧倒的な練習量をこなすぞ!」と意気込んでいたわけではありません。

その練習量は、あくまで結果としてみればそうなっていただけのことです。

 

初めてライブ演奏を経験してからは、ライブが近づくとそのことしか考えられなくなり(①好きで頑張れること)

お客様に出来るだけ良い演奏を提供したいと思うようになり(②目指したい目標)

他のミュージシャンの演奏動画で勉強したり、練習メニューを考えてそれをこなすようにしていました。(③正しい努力)

 

気付けば、寝る間も惜しんでこういうことをしていましたが、少なくとも寝る間も惜しむことを”目的”にしたことはありません。あくまで”結果”です。

 

■「成長」というゆるふわ言葉

「成長」という言葉が便利なのは分かります。ですがその反面、使われ方が非常にゆるっとふわっとしており、安易に使うと危険性も孕んでいると思うのです。

 

筆者はあくまで、好きなことを見つけてから、そのために成長するのが大切だと考えています。その結果として、量をこなす場面も出てくるでしょう。

一方で、最初から「成長!成長!」とだけ謳って、なんでもかんでも、それこそ嫌いなことまで寝る間も惜しんで量をこなして、結果過労(ここでは精神的の意)に追い込まれるのは非常に不幸なことだと思います。

 

ここからは推測に過ぎませんが、結局ベンチャーが「成長」とよく言うのは、その背景に人手不足であったり、まとまっていない業務があり、それをこなさせるための「餌」ではないかと思います。

そのために、中身のないゆるっとふわっとした「成長」を使って、従業員を過労に追い込んでいるだけではないでしょうか。

 

その方が手っ取り早いのでしょうが、従業員を過労に追い込まないためには、その業務が「楽しくなるような」「好きになるような」工夫をして、好き好んで量をこなすようにさせるのが、正しいマネジメントではないかなあと、思った次第です。

 

んま、そんな周りが変わるのを待っててもしゃーないので

イチ営業マンとして、自分から「好きになれる業務」を勝手に創り上げちゃいますか。

 

おしまい。