カジちゃんの妄想劇場

妄想を垂れ流しています。

ブラック小学校の実態

とある引用したツイートが、そこそこリツイート・いいねされていました。

 

書いてある通りで「教員の人権はどこにあるんですか?」と聞いたら半殺しにされた話です。

思い返したら結構ムカムカしてきたので、吐き捨て記事でも書いてやろうかと思った次第でごじゃります。

 

■職業病「膀胱炎」

先生の仕事は、当たり前ですが、授業だけではありません。

特に小学校なんかでは、児童たちは先生とも遊びたがるので、休み時間もつきっきりになります。

 

子どものために先生になるんだから、こうやって同じ時間を過ごせるのは幸せなこと。アハハハハ、ウフフフフ―――

 

と最初は思ってたし、わりかし今でも思ってるんですが

時は2時間目終わりの中休み(ちょっとだけ普通の休み時間より長い)が終わった頃、ふいに気付いたことがありました。

 

これ、ぼくおしっこ行かれへんやん・・・ 

 

まあ確かに「ちょっとトイレ行ってくるね」って言ったらいい話なんですけど

ただ遊んでいるわけではなく、危ないことをしないだろうかとか見てる側面もあるので、離れるのが心配だというのもあります。

 

だからこそ、児童ら同士で遊び合える関係・危ないことは自分らで指摘し合える関係を作るのが大切なんですが(先生のおしっこタイム確保の為にも)

低学年だとこれはちょっと難しく、出来るのは3年生くらいからが現実だったりします。

 

まあ、子どものために、先生の膀胱には時に我慢が必要なのです。

 

■特技「早食い」

みんな大好き、給食タイム。

〈給食係〉手を合わせてください、いただきます!〈全員〉いただきます!(コール&レスポンス)

みんなで食べるとおいしいな。アハハハハ、ウフフフフ―――そう思ってる時期が私にもありました。

 

給食つっても、ただご飯美味しいねで済む話じゃありません。

きちんと「食育」として、子どもたちが食に関する正しい知識と望ましい食習慣を身に付けることができるように、指導する必要があります。(参考:学校における食育の推進・学校給食の充実:文部科学省

 

先に断わっておくと、取り組みとしては素晴らしいものだと思っています。

例えば筆者は、フィリピンの教育系NGOでボランティア職員として働いていたことがありますが、その時に栄養バランスについて考える概念がなく、子どもたちが売店でスナックを買ってそれを昼食にしていた姿に、驚いたことがありました。

日本では、給食で「一汁三菜」とか、栄養バランスについて自然に学ぶ機会が提供されるので、非常に有益な機会だと思います。

 

さてさて、では誰がその食育をするのか?もちろん先生です。

さらに言えば、食育指導をしながらも、実は給食中は事務作業を片づけるチャンスでもあったりします。なので、ここぞとばかりに給食を流し込んで、子どもらの食事に片目を配らせながら、テストの丸付けなどを並列して行います。

 

昼休みなんてあったもんじゃありません。

まあ子どものためには、仕方のないことです。

 

■子どものために、思考停止

「子どものために、我慢する」「子どものためなら、仕方ない」

そうやって上手く馴染んでいくのも、教師としての登竜門の1つなのかもしれません。

 

ただ私は、生粋のバカだったので、担当の先生にあけすけに疑問をぶつけてしまいました。

 

「先生、思ったんですけど、休み時間も子どもにつきっきりだったり、給食を味わう時間もなかったり、教師ってこんなに頑張らないといけないものなんですかね?」

 

「・・・???・・・・ハァ????!?!?!?!?!?!君は目の前にいる子どもが可愛くないの!?え、ちょっと待って。そんな風に思ってたの?君は何しにこの実習に来たの?バカなの!?本当に子どものことを思ってたら、そんな疑問沸いてこないよ!!!

 

この後、私は教員のタマゴ失格認定を受け、「カジちゃん先生」ではなく「大きなお友達」に成り下がり、大学の指導担当の教授にもクレームが入りました。この教授がまたエラク怖いので、めっちゃ怒られました。そっちも怖かった・・・笑

 

■教員に休憩は取れないのか

同じ教育系の仕事でも、学童保育ではまだ休憩時間も確保されていました。

 

これは、先生同士でうまく役割分担が出来ていたからだと思います。

そもそも学童では、広い部屋に子どもが集まって、複数人の指導者が子どもらと遊んだり見守ったりします。なので、一人の人間が休憩に入っても他の先生らでカバーできる仕組みです。

 

一方、学校現場では一人の先生が抱え込み過ぎているように感じます。

例えば、学校に食堂を作ってそこで給食を食べるようにすれば、先生も交代で休憩が取れるようになるかもしれません。

 

さらに言えば、教室はあまりにも閉ざされ過ぎています。

壁と窓でしっかりと覆われ、クラスで誰かが怪我をしても、隣の教室や外の人間は気付きもしない。だからこそ教員は教室に張り付いている必要があるのではと思います。

集中できるように、授業中だけ壁を閉ざせるようにして、休み時間は全て解放できるようにすれば、安全の面からも良いのではないでしょうか。

 

んま、予算どうすんのって話ですけど・・・

 

■「子どものため」という劇薬

「子どものため」これは教師にとって最強の言葉です。仙豆です。一瞬で回復できます。

多分大和魂とかその辺に近いものです。気合があれば、ヒトは竹やりでB29を撃墜できます。

 

そうやって頑張る姿は、素晴らしいと思います。

それこそ、私もそういう先生方の背中を見て、教育大に入り教育を学ぶようになりました。

 

ですが、この言葉をマジックワードにして思考停止してしまうと、そこから前進することが出来ません。

もしかしたら、その過労で倒れてしまうことだってあります。そうなれば、子どものためもへったくれもありません。本末転倒です。

 

真に子どものためになることは何なのか?

それを深く考えて、行動するのが大切なように思います。

 

おしまい。

 

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