カジちゃんの妄想劇場

妄想を垂れ流しています。

他人に興味が無い人たち

それが自分の子どもであっても、というお話。

 

 

筆者は教育大出身なので、そのツテもあって、子どもと交流する機会や、そのご家族の方とお話するのも割と多い方だと思います。

そんな中で、いつも自分のお子さんを「~しなさい!」と命令口調で動かそうとするお母さんがいました。

 

大学で教育学を齧って、頭だけはデッカクなりイキってた私。

お節介にもその指導法に正面から口を挟んでしまいました。

 

 

「お母さん、(ワーママということもあって)いつもお忙しそうですね」

 

「あら、ありがとう。この子も全然言うこと聞いてくれなくて、困りますわ」

 

「大変ですよね。でも、〇〇君にも言い分があるかもしれませんよ」

 

「言い分?というと?」

 

「相手が思い通りに動いてくれない時、そこにはきっと理由があるはずです。自分のお子さんとはいえ、あくまで他人ですから、考えが違うこともあるかもしれません」

 

「・・・なにをおっしゃりたいのかしら?」

 

「言うことを聞かないのなら、『〇〇君はどうしたいの?』と聞いて、そこからお互いが妥協出来る道を探るとか。後子どもは、突然頭を切り替えられなかったりするので、『後5分後に●●をするから準備しておいてね』と予告しておくのも効果があったりします」

 

「・・・なんで私がそこまでしないといけないの?」

 

「・・・・・・(絶句)」

 

 

同じような話はアルバイト先でもあります。

マネージャーが部下に、いつも命令口調で怒鳴りつけていたので、また私は正面から

 

「(部下の)〇〇さんの言い分も少しは聞いてあげてはいかがですか?」

 

と尋ねてしまいました。

すると返ってきたのが

 

「そりゃあもちろん言い分はあるだろう、違う人間だし考え方も違うだろうからな。でもなんで俺がそこまで気にしないといけないんだ?仕事なんだから結果さえ出させればよいだろう。そこにあいつの意見なぞ関係ない」

 

 

私は教育志望の人間ですから、ザ・正義なキラキラした道徳観たっぷりの意見につかることが多いです。

そして、その考えをド正面から押し付けてしまうのが、自分の悪い所でもあるんだろうなと思うようになりました。

 

でも、それが全ての人の考えではないんだなと。キラキラを目の前に突然持ってきても、眩しいしウザイし拒絶されるだけなんだろうなと。

こんな当たり前のことが、私には大発見。「コレ理解してやってくの、結構大事なんじゃないかな」と、この年でやっと気づいたりしました。

 

「正論で人は動かない」とはよく言ったものですね。

 

おしまい。