カジちゃんの妄想劇場

妄想を垂れ流しています。

語彙力の低下?大いに結構!

「分かる」「ヤバイ」「パネエ」「ウェイ」

4単語しか発しない大学生らをみて、インテリぶるオッサンらが「語彙力の低下に危機感を覚える」とプンスコしています。ソースはうちの研究室の教授です。

 

まあ大学生の場合はそういう生き物なのだと思うんですけど

社会全体的にみれば、語彙力の低下を必ずしも悪いとは言い切れないと考えています。

 

語彙力に頼るコミュニケーションを行っていると、素晴らしい知見を持っているヒトがそれを伝えられないことがあるからです。

お調子者のイラスト

 

【目次】

 

言語活用者、圧倒的優位社会

例えば学校で、数学の問題をスラスラ理解出来る子がいたとして

彼が授業で当てられると「いや、ここがそこでこうだから・・とにかく答えは1です」と、ものすごく曖昧な回答しか出来ない場面とか、ありませんでしたか?

 

そしてこういう子に、教師は「言葉で説明できないのなら、それは理解してないと同じだ」と指導したりします。

この指摘って、間違ってるんですよね。少なくともこの生徒は「理解」はしているはずですから。答えられないのは、社会が言語的交流を前提として設計されているからです。

 

したがって今の社会では、ヒトに何かを伝える時には「巧みに言語を扱えるやつ」が最強になります。

だからこそ「語彙力の低下に危機感を覚える」みたいな意見が出てくるのでしょう。言葉が扱えなければ、その人がどれだけ素晴らしい考えや知識、経験を持っていても、他者と分かち合うことができないからです。

 

それってすごく、もったいないことですよね。

ある意味、言語的交流を社会が前提としているからこその、損失だと思います。

 

語彙力が乏しければ、言語を介さなければいいじゃない

こち亀で「アオいいよね」という、オタク論での有名な(?)シーンがあります。

「アオいいよね」の画像検索結果

パッと見では語彙力が喪失したオタクの姿ですけど

実は一般人レベルを超越したオタクで、お互い前提知識は知ってて当然だから、多くを語らない、という場面です。

 

これ、言語を介さない高度な交流の例になります。

お互いに能力(ここでは豊富な知識)があれば、必ずしも言葉を使わずとも人はコミュニケーションを取れるんです。

 

他にも、作曲家は音楽にメッセージを込めたり

画家は絵にストーリーを注いだりします。

 

しかし、それを感じるには受け手側の教養が必要だったりして

言語以外のコミュニケーションはまだまだ少数なのが、この社会の現状です。

 

言語以外のコミュニケーション

こういった社会設計に対して、少しずつですが構造変化が起こっています。

それはYoutubeInstagramの誕生です。

 

YouTubeの登場によって、言語以外で自分の知識を届けられるようになりました。

例えば効果的な筋トレ法を他者に伝えたい時、「こうやるんですよ」と言いながら身体の動かし方を見せるだけで、他者に伝えることができます。これを活字に起こそうとすれば、かなりの語彙力が必要になるでしょう。

 

Instagramなんかもその典型的な例です。

「〇〇に行ってきた♡」と一文だけ載せて、後は写真を載せておけば、他者に届けることができます。自分の体験した感動を、語彙力が乏しくても伝えられるようになりました。

しかも観る側も、その感想を逐一文章化しなくても「いいね!」で自分の気持ちを返すことまでできます。

 

もちろん、以前からビデオやカメラは存在しました。ただ今までは、紙とペンを使う方がコスパは圧倒的に良かったのでしょう。

しかしスマホの登場によって、誰でも簡単に言語以外のコミュニケーションツールを使えるようになりました。

 

そして最たる例は、実はスマホのはるか以前から存在していたチャップリンかもしれません。

かのパントマイム芸で、世界中の人が楽しめる映像を創り上げました。言語以外のコミュニケーションの、ある意味究極の形の1つです。

「チャップリン」の画像検索結果

 

コミュニケーションの終着点

言語とは、概念を表面化したものに過ぎません。コミュニケーションも、この概念を一度翻訳してから相手に届ける、少し無駄のある作業です。

なので最終的にコミュニケーションは、その概念同士を伝え合う「テレパス」の世界に終着すると考えられます。

 

その世界では、言語による束縛から解放されます。

語彙力が低いと叱られて来た人たちも、その保有する概念さえ優秀であれば、きちんと他人から評価される世界です。

 

ただ、それはもう少し先の話になりそうなので

まずは言語以外のコミュニケーションがもう少し認められるようになれば良いなあと思った次第でごじゃります。

 

おしまい。

 

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「シャリ抜き寿司論争」がある限り、戦争は無くならない

くら寿司が「糖質オフシリーズ」として、シャリ抜きの寿司をリリースしていています。

www.kura-corpo.co.jp

 

昨今の糖質制限ブームもあり、ツイッター等でも歓迎の声がみられましたが

一方で「シャリ抜きなんて、寿司じゃない」などの否定意見もあり、賛否両論といったところでしょうか。

 

特にこの否定派の「寿司でシャリ抜きなど、言語道断」論争ですが

こうやって変に堅苦しい意見があるから、世の中から戦争は無くならないんだナァと思った今日この頃です。

戦争のイラスト

 

■そもそもくら寿司は寿司屋じゃない

「シャリ抜きなんて、寿司じゃない」と言いますが

そもそもくら寿司って、寿司と名のつくものの、寿司屋かどうかは怪しいんですよね。

 

「ラーメン」「シャリコーラ」「牛丼」「天丼」「シャリカレーパン」「シャリカレー」「牛丼」etc...(参考:メニュー|くら寿司 ホームページ

もうね、寿司はどこに行ったんだよと(笑)

 

 

【経営会議にて】

社長「新商品についてだが・・」

 

役員A「社長、ここは思い切ってカレーとかどうでしょう?」

 

社長「は?」

 

役員A「カレーは子どもに大人気です。ファミリー層の多い弊社ですから、必ず売上に貢献できるでしょう。」

 

社長「いや、それ寿司じゃねーじゃん」

 

役員A「ご飯をシャリにしとけば、ギリセーフじゃないでしょうか?」

 

役員B「シャリカレーというわけですね!いただきましょう!」

 

社長「いや、お前な・・」

 

役員C「カレーがありなら、カレーパンもセーフじゃないですか?」

 

役員B「シャリカレーパンというわけですね!いただきましょう!」

 

社長「えっ・・じゃあ米関連で、牛丼とか天丼もセーフかな・・・?」

 

役員ABC「「「いただきましょう!!!」」」

 

多分こんな会議してると思う。

 

 

そんなわけで、もう寿司屋というより、ファミレスの方が近いと思うんですよ。びっくらポンのシステムも、子どもに大人気ですし。ファミリーにはうってつけですよね(参考:5皿で1回 ビッくらポン!|くら寿司 ホームページ)。

回転寿司屋から始まって、もはや残ってるのは回転だけという。回転ファミレス、くら寿司

 

■シャリが寿司なのか?ネタが寿司なのか?

反論その2。

「シャリ抜きなんて、寿司じゃない」と言いますが、そもそも、シャリって寿司なんでしょうか?

 

寿司の定義って、シャリの上に魚介類のネタが乗ってるものだと思うんですけど

一応ウィキペディアでも確認してみると「米飯と主に魚介類を組み合わせた日本料理」らしくて。

 

つまりシャリ+ネタが寿司なわけですが、では主役はどっちなのか?シャリが主役なのか?いやはやネタなのか?

一汁三菜で例えると、シャリは茶碗の飯として、ネタが主菜にあたるだろうから、ネタこそが主役なのか?もしそうであれば、むしろ「ハンバーグ寿司」とか「カルビ寿司」みたいな方が邪道ではないのか?シャリ抜き寿司にプンスカする前に、もっと怒るべきトコがあるのではないか?

 

そう、この論争で、我々は盛大な勘違いをしていたのだっ・・!

 

「ざわ・・ざわ・・」の画像検索結果

 

シャリは・・寿司では・・ないっ・・・!!!

 

■戦争なんてそんなもんだよ。

まあどっちが主役とかは、実はわりかしどうでもいんですけど。

寿司を例に出してみましたが、こんな風に新しいものは全否定してくるヒトって、一定数いますよね。

 

まあ古いものを規制してるならともかく、そちらもきちんと残してるじゃないですか。

くら寿司だって、別に今まで通りシャリ入りの寿司も食えるわけですよね。

 

まあ多分悪意はなくて、「シャリ入りで食べる方が美味しいよ」と、良かれと思ってのアドバイスなんでしょうが

シャリ抜き派のヒトらだって、恐らくシャリも食べたことはあるわけで。シャリ入りの寿司が美味しいのは分かってて、その上で選択をしているわけですから。おせっかいにも程があります。

 

 「シャリ抜きは健康に悪い」とかなら分かります。それはありがたい批判です。

でもこの論争ではたいていの場合「寿司はシャリ入りで食べるべきだ」と自分の好みを押し付けてるだけですよね。まあ「文化の崩壊」とか理由を付けてくるんでしょうけど、それならくら寿司では多分既に日本文化は崩壊してますし(笑)

もーこういう人が戦争とか起こすんだろうなって勝手に思ってます。

「戦争なんてそんなもんだよ」の画像検索結果

 

「黙ってシャリ入りを食え」って、もうミサイルですよ。こういう奴がうちこんでくるんですよ。

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別にあなたを否定してるわけでもないのに「いや、こうあるべき」と勝手に抑え込んでくるヒト。

ツイッターで言えば、クソリプと呼ばれる類のやつ。そして勝手に炎上してると大騒ぎしてるような例とかもありました。ミサイルうちこんだの誰だよっていう。

 

んまっ、ここまで全部、ネタですからね。あまり本気にしないでくださいね。寿司の話だけにってか!ワーッハッハッハッハッハハハハハハハh(爆発)

 

おしまい。

 

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結果を出したいなら、奴隷になれ

他人と携わることがある限り、「結果」はよく求められるコトであります。

仕事はもちろんですし、例えばダイエットの結果を出したかったりするのも、自分と携わる他人によく見られたいから、だったりしますよね。

 

そういう時、ヒトは奴隷になっています。

逆に言えば、奴隷になることが目標達成への近道であるわけです。

強制労働のイラスト

 

■「目標達成」に縛られる奴隷たち

多くのヒトは、望ましい結果としての「目標」を設定します。そして、そのゴール(目標を達成した瞬間)から逆算して、今自分がやるべきことを考えますよね。

 

例えば、人脈を作りたいなら「◯人の人と出会って名刺交換する!」とか、

思考力を鍛えたいなら「毎月欠かさず◯冊本を読む!」とか、

技術を身に付けたいなら「毎日◯時間練習する!」とか。

 

かくいう私も、このところ体重がビットコインのようにえげつない上昇を見せておりまして。

これが橋本環奈氏だと、むちむちして可愛いと好評なわけですが銀魂のチャイナ姿めっちゃ可愛いk)

私のような人間には、職場の人に「デブ」とあだ名を付けられたのが関の山だったりしましたので(ネーミングセンスが直接的過ぎて、小学生のイジメみたいだ・・)、淡々とダイエットに励んでいる今日この頃でござります。

「銀魂 橋本」の画像検索結果

ぐうかわ!

 

「銀魂 橋本」の画像検索結果

かわ・・いいよ!

 

そんなわけで、最近はネットで配信されているエクササイズ動画を観ながら運動をしているのですけれども。

トレーナーのお姉さんは「さあ、段々息が上がってきましたか?もうひとふんばり、頑張りましょう!」とか声掛けするわけですが、その頃にはすでに「ふひぃっ!ふひぃっ!」と”息が上がってる”どころではない自分の体力に、嘆いておったりします。

 

さてこんな状況ですが、実は自分はもともと誰かに指示されるのが凄く苦手な人間です。

更に言えば、予定が決まっているのとかも苦手。その予定に「あなたは○○時に××をする必要があります」と指示をされるのが嫌いです。その時間に自分は違うことがしたいかもしれないのに、予定が入っているとそれを優先しないといけないからです。

 

それでも、毎日きちんと運動の予定を入れているのは

画面越しのトレーナーさんの指示にも従っているのは

 すべては、「体重を落とす」という『目標達成の奴隷』になっているからです。

 

■奴隷は結果を出しやすい

目標を立てるのは、言い換えれば一種の「思考放棄」です。

 

・白米は控えておこう

・ランチは、サラダチキンにしよう

・誘われた飲み会は断ろう

どれも「今は減量中だから」と理由を付けたからこそ、一瞬で決断することができました

 

本当は白米を食べたいのに、サラダチキンは苦手なのに、飲み会には行きたかったのに、それらの気持ちを制御できています。そのおかげか、徐々に体重も落ち始めてきました。

これも『目標達成の奴隷』になると決断したからでしょう。

 

このように、何かを決断することは、その決断の奴隷になることを意味します。

このあたりの話は、日本の哲学者:國分功一郎氏の「暇と退屈の倫理学」でも述べられていますので、興味のある方は読んでみてください。単純に哲学本としてもめちゃくちゃ面白かったです。

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)
 

 

 ■楽しんでいるやつが最強

ただね、奴隷はどうあがいても奴隷のままです。

その束縛から解放された、真の意味で自由な、楽しんでるヒトたちには勝てないんですよ。

 

例えば、週に何度かはジムにも通っているのですが

そこには私が減量目的として「仕方なく」運動をしてるのとは違って、筋トレそのものを楽しんでいる「筋肉バカ」の方々もいます(褒め言葉)。

 

筋肉痛の日に「オレ、今日、痛くてサ」と嬉しそうな顔で太ももをさするマッチョメンと話してると「ああ、一生勝てねえなあ・・」とか思ってしまうわけです。

変に「目標設定」とかしなくても、こういうタイプのヒトは勝手に周りを圧倒する結果を出して来ますからね。その人もなかやまきんに君みたいな体格をしてマッスル。

「筋肉」の画像検索結果

 

そんなわけで、奴隷になるのも効率は良かったりするのですが

そのときどきの自分の気持ちに正直に、奴隷解放宣言を自分に行ってあげて、自由に生きるのが一番いいと思いましたよ、とダンベルを上げながらこの記事を書きました。

 

プロテインおいしい!ごっくんごっくん!(洗脳)

 

おしまい。

 

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「人間教」信者のためのお仕事

ヒトの仕事がほぼ機械が置き換わる未来に、我々に残された働き方は決して多くありません。

そんな中で、(まだしばしの間は)残される労働があります。それが宗教的お仕事です。

 

この宗教的お仕事とは、言葉の通り宗教法人としての仕事ももちろんですが

本稿ではもう一つの意である、「人間教」信者のためのお仕事について述べます。

宗教の二世のイラスト

 

■「人間教」とは

一言で表すと「ヒトの暖かさ」を信じている宗教になります。

 

例えば、先日「変なホテル」について話していた時のことです。

※変なホテルとは、ロボットたちが接客してくれる、ハウステンボスにある宿のこと

kakakumag.com

 

「いや~ロボットが接客する時代だなんて、最先端で凄いし、面白いねぇ。」

 

「そうだね。でもまあ珍しいから面白いのであって、広まることはないだろうね。」

 

「えっ、どういうこと?(ヒトの雇用を奪わないために規制がかけられるとか・・?)」

 

「いやだって、接客にはやっぱりヒトの暖かさがなくちゃダメじゃん。カプセルホテルとかならともかくさ。」

 

はぁ、なるほどな。これが人間教か、と思いました。

 

■「ヒトの暖かさ」なる幻想

例えば、ドラえもんを思い浮かべてみてください。

その中で「さようならドラえもん」という話があるのですが、有名な回なので知ってる方も多いのではないでしょうか。

 

ドラえもんが未来に帰ることになり、渋々ながらも受け入れるのび太

そして最後の夜、ひょんなことからジャイアンと喧嘩することになるのですが

「ぼくだけの力で、きみに勝たないと……。ドラえもんが安心して……。帰れないんだ!」

と力を振り絞って、ひみつ道具に頼らず、ひとりの力でジャイアンに勝つんですよね。

「さようならドラえもん」の画像検索結果

これぞまさに「ヒトの暖かさ」

グッとくるシーンで、私も思わず目頭が熱くなる、大好きなシーンです。

 

そして実は、そのやり取りを見ていたドラえもん

その「のび太の(ヒトの)暖かさ」を見て、ドラえもんは涙を流します。

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このシーンこそまさに象徴的で

のび太はもちろん、ロボットであるドラえもんの暖かさを感じることはないでしょうか?

ドラえもん (6) (てんとう虫コミックス)

ドラえもん (6) (てんとう虫コミックス)

 

 

もちろんこれは漫画での出来事ですし、2017年現在の技術ではドラえもんを創ることはできません。

ですが少なくとも、”暖かさ”は”ヒト”にしか出せないと言うのは幻想だと私は思います。

 

特に根拠もなく「”暖かさ”は”ヒト”にのみ許された特権だ」と主張するのは、これこそ宗教であり、人間教と言われたる所以です。 

 

■人間教ビジネスの発展

となれば、この人間教の方がいる限り、その信者達が求めるサービスは、ヒトが提供する必要があります。そのサービスの質がうんぬんというより、提供者が誰であるかの方が大事ですからね。

つまり、いくら機械が発達しようとも、ヒトに残された仕事となります。

 

例えば、上記のような接客業であったり、医者の仕事なんかも「機械に身を預けられるか!」なんていう信者がいるかもしれません。

他にもいくらでも思いつきますね。

 

■そして衰退

ただこの仕事が成り立つ裏側には、現時点でAIへの信頼がまだ足りないだけ、ということもあると考えられます。かつて自動改札機が導入された時も、まだ懐疑的だった世間からは「ヒトの暖かさがなくなる」と声が上がっていました。

それがその後の自動改札機の普及を見ても分かるように、世間が慣れてくると「むしろヒトの仕事の方が信用ならないよね」と意識が変わるかもしれません

 

また、今後「AIネイティブ世代」なんて呼ばれる子どもたちが産まれてきて、彼らがマジョリティになった時代では、いずれこの仕事も廃れていくでしょう。

 

そんなわけで、その場しのぎの仕事にはなりそうなので、常に未来を見据えて生き方を考えるのが、一番大事そうです。

 

おしまい。

 

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可愛い子には旅をさせるな

どう間違えても、靴と鞄を読み違えても、あだち充の描くキャラの見分けがつかなくても、やっぱりどう間違えたって、可愛い子に旅なんかさせちゃダメです。

 

もう一度言いますけど、ぜ~ったいに、旅なんかさせちゃダメですからね!

 

■「旅で人生変えてみないか?」とかいうおせっかい

さて、偉そうに大声出してみましたが

これでも筆者は、過去に大学を休学して、長期のバックパッカーをした経験があります。

 

んで、こっからあるあるだと思うんですけど

そういう奴って、何か変に自分はエライと勘違いして「旅が僕の人生を変えた」「旅って素晴らしい」とか、聞いてもないのに自分語りしません?

 

でも実際に旅に出てみても、未だにサトシはポケモンマスターになれないし

麦わら海賊団はいつロジャーの宝を手に入れるんじゃいって話ですよ。

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んでもまあ、そうやって自分が満足してるだけならいいんですけど

挙句の果てには「今の若者はもっと旅に出るべきだ」とか言う始末。

 

うっせーバーカ!お前の価値観押し付けてんじゃねー!ってね。

(まあ何を隠そう、私も帰国当初は、そんな恥ずかしい感じだったのですが・・・)

 

 ■そのおせっかい、犯罪級

 冷静に考えて、旅なんてしんどいことの方が多いんですよ。

 

お金がないから、毎日30キロくらい、歩きで移動したり

たまにバスに乗ってみれば、超満員で、というかそれでもう中には乗れなくて、外でしがみ付いていたり

やっぱりお金がないから、一日二食だったり

食中毒で3日間寝込んだり(&トイレとの往復)

自転車×世界一周をしていた知り合いは、肝心の自転車を盗られたり

夜行バスが道程36時間で、もはや夜行でなかったり

人ごみでは、お金を盗られたり(財布の中身だけ盗られてた、ある意味神業!)

一番酷いのだと、飲み物に睡眠薬を仕込まれていて、目が覚めたころには身ぐるみ全部剥がされていたことだってありました。

 

ね?旅ってホント酷いもんでしょ?我ながらよくこんなに悪口思いつくなってくらい、そりゃ色々ありましたよ。

これでも「可愛い子には旅をさせろ」なんつー気ですか?それもう可愛い子じゃないでしょ。絶対その子のこと嫌いでしょ。キャッキャ騒いでる子を見て「うるせえ」ってイライラするタイプでしょ。絶対。

 

んでね、何が問題かって、何が言いたいかって

可愛い子に、旅を「させる」ってのがムカツクわけ。ヤメロ馬鹿。

旅なんて、上記の通り、危険でいっぱい。それを押し付けるおせっかいさ、これもう、犯罪級じゃないかと思うわけです。おせっかい is 犯罪。クリミナル。

 

■「旅をしたがる子には、旅をさせよ」

100歩譲って、自分の意志で行くなら分かります。「カーチャン!おれ、ポケモンマスターになる!」と子どもが言うなら、まあYoutuberの方がまだ100倍将来性はあると思うんですけど、背中を押してみてもいいとは思います。

そういう意味では、私は自分の意志で行ったのでまだ幸せでした。上記の悪口も、今冷静になって思い返したら出てきた言葉なんですけど、そういえば旅の当時は、こんな風に思ってましたね。

 

歩きの移動が多かったからこそ、街の景色をゆっくりと眺められたり

超満員のバスに外でしがみ付いていると、中の客が手を伸ばして支えてくれたり

一日二食だからこそ、現地の食べ物の味を噛み締めることが出来たり

食中毒で寝込んだときは、宿のスタッフが、現地風おかゆを作ってくれたり

自転車を盗られた知り合いは、街の人が総動員で自転車探しに奔走してくれ、結果ちゃんと見つかったり

36時間バスの中に押し込められた時は、今までの自分をゆっくりと振り返る機会が得られたり

お金を盗られた時、警察に行こうとすると近くにいた人が「大丈夫か?僕も一緒に警察に行って、現地語で証言してあげるよ」と言ってくれたり

睡眠薬強盗に遭って泣きながら宿に帰った時、慰めてくれた人は、今は大事な友人となって、来年からシェアハウスを一緒に企画する予定です。

 

およよ、また自分で書きながら、よくもまあ今度はこんなに良いように言い換えられたと思うもんですが

当時は本当にこう思っていたんですよね。毎日が楽しくて仕方なかったんですよ。

それもやっぱり、「他人に押し付けられたこと」なんかじゃなくて「自分がやりたかったこと」だからだと思います。

 

だからね、私は「みんな旅をすべきだ」なんて言うつもりは毛頭ないし、「可愛い子には旅をさせろ」なんて論外だと思ってますけど

「ぼく、旅をしたい」って言ってきた子に対しては、全力で応援してあげることが、大事なんじゃないかなあと思ったりするわけです。

 

言いたいことは、それだけ。

 

おしまい。

 

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ブラック小学校の実態

とある引用したツイートが、そこそこリツイート・いいねされていました。

 

書いてある通りで「教員の人権はどこにあるんですか?」と聞いたら半殺しにされた話です。

思い返したら結構ムカムカしてきたので、吐き捨て記事でも書いてやろうかと思った次第でごじゃります。

 

■職業病「膀胱炎」

先生の仕事は、当たり前ですが、授業だけではありません。

特に小学校なんかでは、児童たちは先生とも遊びたがるので、休み時間もつきっきりになります。

 

子どものために先生になるんだから、こうやって同じ時間を過ごせるのは幸せなこと。アハハハハ、ウフフフフ―――

 

と最初は思ってたし、わりかし今でも思ってるんですが

時は2時間目終わりの中休み(ちょっとだけ普通の休み時間より長い)が終わった頃、ふいに気付いたことがありました。

 

これ、ぼくおしっこ行かれへんやん・・・ 

 

まあ確かに「ちょっとトイレ行ってくるね」って言ったらいい話なんですけど

ただ遊んでいるわけではなく、危ないことをしないだろうかとか見てる側面もあるので、離れるのが心配だというのもあります。

 

だからこそ、児童ら同士で遊び合える関係・危ないことは自分らで指摘し合える関係を作るのが大切なんですが(先生のおしっこタイム確保の為にも)

低学年だとこれはちょっと難しく、出来るのは3年生くらいからが現実だったりします。

 

まあ、子どものために、先生の膀胱には時に我慢が必要なのです。

 

■特技「早食い」

みんな大好き、給食タイム。

〈給食係〉手を合わせてください、いただきます!〈全員〉いただきます!(コール&レスポンス)

みんなで食べるとおいしいな。アハハハハ、ウフフフフ―――そう思ってる時期が私にもありました。

 

給食つっても、ただご飯美味しいねで済む話じゃありません。

きちんと「食育」として、子どもたちが食に関する正しい知識と望ましい食習慣を身に付けることができるように、指導する必要があります。(参考:学校における食育の推進・学校給食の充実:文部科学省

 

先に断わっておくと、取り組みとしては素晴らしいものだと思っています。

例えば筆者は、フィリピンの教育系NGOでボランティア職員として働いていたことがありますが、その時に栄養バランスについて考える概念がなく、子どもたちが売店でスナックを買ってそれを昼食にしていた姿に、驚いたことがありました。

日本では、給食で「一汁三菜」とか、栄養バランスについて自然に学ぶ機会が提供されるので、非常に有益な機会だと思います。

 

さてさて、では誰がその食育をするのか?もちろん先生です。

さらに言えば、食育指導をしながらも、実は給食中は事務作業を片づけるチャンスでもあったりします。なので、ここぞとばかりに給食を流し込んで、子どもらの食事に片目を配らせながら、テストの丸付けなどを並列して行います。

 

昼休みなんてあったもんじゃありません。

まあ子どものためには、仕方のないことです。

 

■子どものために、思考停止

「子どものために、我慢する」「子どものためなら、仕方ない」

そうやって上手く馴染んでいくのも、教師としての登竜門の1つなのかもしれません。

 

ただ私は、生粋のバカだったので、担当の先生にあけすけに疑問をぶつけてしまいました。

 

「先生、思ったんですけど、休み時間も子どもにつきっきりだったり、給食を味わう時間もなかったり、教師ってこんなに頑張らないといけないものなんですかね?」

 

「・・・???・・・・ハァ????!?!?!?!?!?!君は目の前にいる子どもが可愛くないの!?え、ちょっと待って。そんな風に思ってたの?君は何しにこの実習に来たの?バカなの!?本当に子どものことを思ってたら、そんな疑問沸いてこないよ!!!

 

この後、私は教員のタマゴ失格認定を受け、「カジちゃん先生」ではなく「大きなお友達」に成り下がり、大学の指導担当の教授にもクレームが入りました。この教授がまたエラク怖いので、めっちゃ怒られました。そっちも怖かった・・・笑

 

■教員に休憩は取れないのか

同じ教育系の仕事でも、学童保育ではまだ休憩時間も確保されていました。

 

これは、先生同士でうまく役割分担が出来ていたからだと思います。

そもそも学童では、広い部屋に子どもが集まって、複数人の指導者が子どもらと遊んだり見守ったりします。なので、一人の人間が休憩に入っても他の先生らでカバーできる仕組みです。

 

一方、学校現場では一人の先生が抱え込み過ぎているように感じます。

例えば、学校に食堂を作ってそこで給食を食べるようにすれば、先生も交代で休憩が取れるようになるかもしれません。

 

さらに言えば、教室はあまりにも閉ざされ過ぎています。

壁と窓でしっかりと覆われ、クラスで誰かが怪我をしても、隣の教室や外の人間は気付きもしない。だからこそ教員は教室に張り付いている必要があるのではと思います。

集中できるように、授業中だけ壁を閉ざせるようにして、休み時間は全て解放できるようにすれば、安全の面からも良いのではないでしょうか。

 

んま、予算どうすんのって話ですけど・・・

 

■「子どものため」という劇薬

「子どものため」これは教師にとって最強の言葉です。仙豆です。一瞬で回復できます。

多分大和魂とかその辺に近いものです。気合があれば、ヒトは竹やりでB29を撃墜できます。

 

そうやって頑張る姿は、素晴らしいと思います。

それこそ、私もそういう先生方の背中を見て、教育大に入り教育を学ぶようになりました。

 

ですが、この言葉をマジックワードにして思考停止してしまうと、そこから前進することが出来ません。

もしかしたら、その過労で倒れてしまうことだってあります。そうなれば、子どものためもへったくれもありません。本末転倒です。

 

真に子どものためになることは何なのか?

それを深く考えて、行動するのが大切なように思います。

 

おしまい。

 

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将来残る仕事は、社長とバカとヤクザ

オックスフォード大のマイケル・オズボーン教授が「どんどん雇用はテクノロジーに奪われるよ」と論文を書いて話題になりました。

論文が既に4年前のものですが、現在でもイーロンマスクが「人工知能に人間の職は奪われる」と語るなど、未だに世間の興味関心が高い話だと言えそうです。

www.huffingtonpost.jp

 

上記の記事にもあるように、そのような社会になればBI(ベーシックインカム)が必須になるのでしょう。

それでも筆者は3つの職業は無くならないと考えています。これからも働きたい仕事大好き人間の方々は、参考にすると良いと思います。

仕事を投げ出す白衣の男性のイラスト

 

■社長

なくならない仕事その1は、社長です。

と言っても、現代の社長がやっている業務のほとんどはテクノロジーに取って代わられるでしょう。囲碁の世界でAIがヒトを越えたように、もはや戦略立ても機械が担える分野になってきました。

そのうち「今年の経営戦略は〇〇で行きましょう」と示すAIが出てくるかもしれません。

 

そんな世界で社長に残された業務は何か。それは謝罪会見です。

AIのおかげで、99.9%正しい解を見いだせる世界が来たとします。それでも残りの0.1%が起こった時に機械は責任を取れません。現在議論になっている「自動運転で事故が起こった時に責任を取るのは誰だ」問題などもそうです。

何か不祥事が起こった時、怒りに燃える市民のはけ口に、石打ち刑を執行する相手が必要です。それは誰か?社長です。非常にやりがいのある素晴らしいお仕事ですね。

 

■バカ

なくならない仕事その2は、バカです。

もうなんか仕事じゃなくなってきましたが、テクノロジーが強者となる時代には、むしろこの要素は強みになります。

 

エジソンの幼少期は落ちこぼれであり、ガリレオは「地動説www」と裁判にかけられ、ゴッホは耳を切りました。彼らに共通しているのはバカだったことです。

(その当時においては)合理的ではないと言われたことに取り組む、カッコイイ言い方をするならイノベーター達です。

 

ビッグデータを積み重ね、その中から合理的判断しかできないAIは、バカにはなれません。これからは耳を切り落とせるやつだけが、食っていけます。芸術は爆発だ。ビジネスも爆発だ。(ただし汎用人工知能が完成すると、その限りではありません)

 

■ヤクザ

なくならない仕事ラスト、これこそ大本命、ヤクザです。

そもそも「機械には担えないこと」なんて、とうの昔にアイザック・アシモフが唱えていたんですよ。

 

第一条
ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条
ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条
ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
— 2058年の「ロボット工学ハンドブック」第56版

ロボット工学三原則 - Wikipedia

 

ロボット工学三原則の中で最も重要とされる第一条に「人間に危害を及ぼしてはならない。」とあります。つまりロボットが最も苦手とすることは暴力です。

「銃」は危害を加えるために作られたテクノロジーですが、それも使用者の人間があってこそです。テクノロジー単体だけでは人間に危害は加えられません。

 

債務者に夜逃げされそうになった時、政治でのし上がりたい時、とりあえずアイツがむかつく時、テクノロジー自体はどうにもしてくれません。

 

まあペッパー君が「オラ、〇〇サン、イルンダロ?アケロ、コラァ(ドンドン)」と取り立てる時代とかは来るかもしれませんが、そのペッパー君に指令を出す人間は必ずいるはずです。

逆に、ペッパー君が完全に自律して取り立てにくるようになったら、その時は人類の終わりかもしれません。

 

この発展として、殺し屋とかもそうですね。

ゴルゴ13はこれからも安泰そうです。さいとうたかお先生、新刊お待ちしております。

 

■まとめ

うん、BIで細々生きてくのが一番いいわ。

 

そしてそんなことにならないためには、テクノロジーを使える人間こそが強い時代が来ると思っています。

kajiki16894.hatenablog.com

 

おしまい。

 

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